Hyun-Soo Park, University of Colorado at Boulder 私は幼稚園のころボルティモアに住んでいました。私の近所には日本から来た家族が三世帯住んでいました。その日本の子供達は私と同じ小学校に通ってたんです。初めは彼らを見ても声をかけませんでした。でもある日母が彼らのお母さんたちと話をしていました。私はびっくりしました。なぜなら母は日本語でしゃべっていたんです。実は韓国にいるおばさんが母に日本語を教えてくれたそうです。会話が済んだ後で母は私を呼び出し、私を近所の日本の子供達にしょうかいしました。私はすごくきんちょうしました。でも彼らは英語で話してくれたので、安心しました。母のおかげで新しい友達ができました。 日本の友達とあそぶ時日本語と英語の両方を使ってしゃべりました。はじめは彼らの日本語にとっても戸惑い(とまどい)ました。でも友達はいつもわからない言葉を通(つうやく)してくれました。少しずつ単純(たんじゅん)な言葉を憶えることができました。友達は日本の子供番組のビデオをたくさん持っていました。いろいろな日本のアニメやスーパーヒーローのビデオを見せてもらいました。とくに、ウルトラマンや仮面ライダのビデオを何回も何回も見ました。このスーパーヒーローのシリーズを見ながら友達とヒーローごっこをよくしました。 誕生日やクリスマスパーティーも日本の友達といっしょにしました。パーティーではプレゼントを交換(こうかん)して、日本料理を食べることができました。私はとくにうどんや、テンプラやふりかけのご飯が好きでした。ときどき夜、友達とせんこう花火をして楽しみました。 しかし小学校三年生の時日本の友達はみんな日本に帰ってしまいました。さらに私の家族もカナダに引っ越してしまいました。。本当に悲しいわかれでしたが、ちゃんと手紙で連絡するやくそくをしました。当時私は日本語をぜんぜん読むことや書くことができなかったので手紙はいつも英語で書いていました。毎年クリスマスに友達はアニメやスーパーヒーローのビデオを送ってくれました。そのビデオのおかげで簡単な日本語が私のきおくに残りました。 高校一年生の時とうとう日本語を勉強するチャンスがきました。日本語の授業でひらがなとカタカナを学んで、漢字も少し覚えて、新しい文法や単語も学びました。私は日本語が上手になったら、日本の友達に日本語で手紙を書くつもりでした。でも、高校一年が終わった時、父の仕事で私の家族はコロラドに引っ越すことになりました。新しい高校には日本語のクラスがなかったのでしかたなくフランス語のクラスを取りました。本当に残念でした。 けれどもコロラド大学に入った時、日本語の専攻があったので勉強を再開する(さいかいする)ことができました。日本語のクラスがとても気に入り、私は日本語を第二専攻にしました。日本語を勉強するといろいろなチャレンジがあります。たとえば、たくさんの漢字を覚えることや、文法の正しい使い方を勉強することはとてもきついです。しかしどんなにきつくても子供のころのやくそくを思い出だせば最後までがんばれるのです。大学を卒業したら、始めて日本に行って、日本の友達と再会するつもりです。きっと、友達と懐かしい話をしたり、またさらにすばらしい思い出を作ることができるでしょう。そして自分の日本語をさらに磨きたいです。日本に行く日が楽しみです。ごうせいちょうありがとうございました。 |